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日本が世界中から愛される真の理由

fuji3.18
fuji3.18

今回日本を襲った未曽有の巨大災害は、
当事国の私達だけではなく、全世界に大きな衝撃を与えました。
災害の規模、原発の放射能汚染…。

しかし、それとは全く別な意味で諸外国に驚きを与えたのは、
これほどの甚大な被害にもかかわらず、
被災者の方々の冷静に秩序を守ってお互い助け合って行動する、
その光景そのものが海外の同様のケースと比べて異質だったらしいですね。
私達日本人には当たり前の事なのですが。(^^;

そして今、日本に世界中の多くの国から救助、支援の手が差し伸べられています。
miurku 線1
★外務省HPより↓
(注:116カ国・地域及び28国際機関から支援の申し出。過去最大。
(注:更に16日までに14カ国・地域(米国,台湾,シンガポール,ドイツ,
スイス,メキシコ,ニュージーランド,豪州,英国,フランス,モンゴル
中国,ロシア,韓国)からの緊急援助隊
及び国連災害評価調整(UNDAC)チームが日本に到着,
活動を開始している(既に現場から撤収した国を含む)。
<但し、韓国は到着後東京観光。連れてきた犬が行方不明。
 どの地域に支援しているか不明。>
(3)在日米軍は、空母「ロナルド・レーガン」等の艦船を
東北地方沖合に派遣し、支援に当たっている他、
各国援助チームの横田飛行場や三沢飛行場への受入れ支援等を行っている。
(4)豪空軍機C17が日本国内での輸送支援を行っている。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/saigai/index.html
 ★世界中の皆様、お心遣い本当に有り難うございます。感謝でいっぱいです。
miurku 線1

何故、日本はこれほど世界中から愛されるのか?
単に普段、金払いがいいから?
否!! 愛される本当の理由があるのです!
今回の支援国の中には、親日国として知られるトルコ政府も含まれています。
日本が愛される理由は、
「近代」ではなく「過去」に遡ることで、その真実が見えてきます。


miurku 線1

◇エルトゥールル号の恩返し

エントゥールル号95年後の日本人奇跡の救出劇…

1985年イラク戦争(1980-1988)の時、
「今から48時間後、
イランの上空を航行する全ての飛行機をイラク空軍の攻撃対象とする」

2日前、僅か2日間の猶予の後、
19日午後8時30分以後は例え民間機でも容赦なく無差別に撃墜すると、
イラクのサダム・フセインが突然公式宣言し、世界中を混乱に陥れた。
1980年9月、イラクのイランへの奇襲で始まったイラン・イラク戦争は、
一時沈静化しつつも85年以降から激化し、
双方の都市部へミサイルを打ち合う泥沼状態に突入。その最中の宣言である。

各国政府は48時間以内に自国民をイラクから脱出させようと奔走した。
およそ450人の在留邦人を抱えた日本も例外ではなく、
現地大使館から出国勧告が出された。
ところが、イラクとの間に定期便を持たない日本人には
脱出する術がなかった。
しかも緊迫した情勢の中、自国民の脱出を優先する他国の航空会社に
搭乗手続きを断られ、殆どの日本人は、
特別機や臨時便で次々と出国していく外国人達を横目に見送るしかなかった。
そんな中、日本政府の対応は遅れた。
在留法人が多く暮らすテヘラン市北部が度々爆撃されたにもかかわらず、
当時の外務省には「ミサイル攻撃ではない」という楽観論さえあった。
外務省は18日になってようやく救援機の手配に動いたが、
仮にテヘランを撃墜予告の1時間前に離陸するとしても、
現地到着はその2時間前でなければならない。
miurku 線1

iroiro花

◇エルトゥールル号の恩返し(2)

つまり、救援に向かう日本航空機の成田出発は、
日本時間の19日午前1時50分(現地時間では18日午後8時20分)が、
タイムリミットとなる。
しかし外務省は、
18日午後8時から開かれた日本大使館と在留法人会の協議の結果を
待つばかりで状況判断の好機を逸し、貴重な時間を無駄に浪費し、
ついに日航機による救援は事実上不可能となってしまった。
この時点でテヘランに取り残された日本人は200人以上。
しかもその中には82人の女性や子供までが含まれていた。
もはや一刻の猶予も許されない…。

誰もが希望を失いかけたその時、
一機の飛行機がテヘランのメヘラバード国際空港に着陸。
三日月と星が鮮やかに輝くその機体は、絶望の中、
取り残されていた日本人全員を無事に乗せて、
緊迫の地を飛び立ったのである。
トルコ国旗
トルコ航空
機内で呆然としながらも安堵の表情を取り戻した日本人を、
優しい笑顔で丁寧に出迎えたのは、トルコ航空のスタッフ達だった。
トルコは撃墜予告当日の19日の定期便に加えて臨時便を飛ばし、
日本人を救出してくれたのだ。
それは、タイムリミットまであと3時間というまさに間一髪の出来事だった

198人の日本人を乗せた1機目は午後5時10分、
残りの17人を載せた2機目は午後7時50分にテヘランを出発。
トルコのイスタンブール空港を目指した。
トルコ政府の英断と、勇気あるトルコ航空のスタッフの決死のフライトで、
215人の日本人の尊い生命が助かったのである。

翌日、日本のマスコミはトルコ航空による日本人救出劇を大々的に伝えたが、
何故トルコが危険を冒してまで日本人を助けてくれたのか、
当時それを知る日本人は誰もいなかった。
その理由について「朝日新聞」では、
日本とトルコがイラン・イラクと等距離外交を取っている事や、
日本のトルコに対する経済援助を理由として解説した。

ところが、その「朝日新聞」に対し、
トルコ国旗
当時の駐日トルコ大使のヌルベル・ヌレッシ氏は
次のような投書を寄せている。
「純粋に人道的見地から発したトルコ航空の今回の措置を、
日本とトルコの経済協力関係、
つまり、日本からトルコへの経済協力に結びつける見方があり、
それが貴紙によって報道されたことに深い悲しみを覚えています」
この言葉の奥に隠された真実とは?

トルコが危険を覚悟で日本人を助けてくれた本当の理由とは?

全ての始まりは95年前に遡る…。
sakura額縁fuji

◇エルトゥールル号の恩返し(3)

トルコ国旗日の丸小1

今を遡ること95年前.....

嵐の樫野埼(かしのざき)燈台―1890(明治23)年9月16日深夜
この日、日本列島は高知沖から紀伊半島沖を北東に進む
大型台風の直撃を受けていた。
紀伊半島の先端の港町・串本や、
その東に浮かぶ大島付近には午後4時半に暴風警報が出され、
風雨は暗闇が迫るとともに、その強さを増していた。

気圧の低下と風雨の強さがピークを迎える頃、
大島の東の端に立つ樫野埼燈台の宿直室に
突然、全身ずぶ濡れの大男が倒れ込んできた。
全裸で血を流し、明らかに日本人ではない
その大男を見た当直の2人は、一瞬で海難事故だと直感した。
「おい!どうした?どこの国から来た?他に仲間は?何人いるんだ?」
主任の瀧澤正浄(たきざわせいじょう)が日本語でいくら問いかけても通じない。
そこで万国信号ブックを取り出して見せると、
男は震える指先で赤地に三日月と星の旗を指差した。
「この国旗は…トルコか!」
大きく頷く瀧澤に向かって男はなおも手を動かし続けた。
それは船が沈没したことを伝えるものだった。
「とりあえず、怪我の手当てを先にしましょう」
もう1人の当直、乃美権之丞(のみ・ごんのじょう)が
救急箱を取って戻って来た途端、
同じような異国の男達が、どっとなだれ込んできた。
いずれもずぶ濡れで体中に傷を負い、
仲間に背負われてようやくたどり着いた重傷者も含まれていた。

大島は東西約6キロ、南北約3キロの小島だが、
比較的なだらかな北側以外は切り立った崖ばかり。
特に南側の断崖は島民さえ寄せつけない。
彼らはそんな難所を互いに励まし合いながら、
40mにも及ぶ漆黒の壁を、命懸けでよじ登ってきたのだ。

瀧澤と乃美が応急手当をしている間にも、異国の遭難者は増え続けた。
2人はあり合わせの衣類やありったけの布、敷物を引っ張り出して、
依然震えの治まらない彼らの体中に巻きつけた。
ようやく体が温まり、水で喉を潤した遭難者たちは
徐々に落ち着きはじめ、事故の状況を身ぶり手ぶりで語りだした。
どうやら彼らの船は、岩礁に激突して砕け散ったらしい。
この激しい暴風の中で、樫野埼燈台下に待ち受ける名うての難所、
「船甲羅」に押し流されては、どんな屈強な船でもひとたまりもない。

乗組員の数が多ければ救助活動には村民の協力が必要になる。
そう判断した瀧澤は、
燈台がある樫野地区の区長・斎藤半之右衛門(はんのえもん)に知らせた。
miurku 線1

◇エルトゥールル号の恩返し(4)

異人との遭遇―1890(明治23)年9月17日早朝

台風が通り過ぎた翌朝、20歳過ぎの漁師の友吉は、
波に揉まれて磯に打ち上げられた魚や材木を拾い集める為、
燈台に向けて走っていた。

すると突然、目の前に見たことのない大男が立ちはだかった。
大男は全身ずぶ濡れで、
ズタズタに破れた布の一部を体に纏っているだけだった。
大男は、何やら身ぶり手ぶりを始めた。
友吉が呆気にとられていると、今度は友吉の手をぐっと掴み、
燈台へ続く高台へと連れて行き、眼下の海を指差した。
友吉の視界に、波間に浮かぶ無数の船の破片と
夥しい数の人影が飛び込んできた。
幼い頃から見慣れてきた海の、これまで見たこともないような
凄惨な光景に友吉は愕然とした。

トルコ エルトゥールル軍艦
↑当時のエルトゥールル軍艦

「こりゃあ大変だぁ!毛唐人の遭難だぁ、大事故だぁ!!」
友吉はまっしぐらに樫野の村落に駆け戻り、
樫野地区の区長・斎藤半之右衛門の家に飛び込んだ。
海難事故の一報は、たちまち樫野中に伝わった。
報せを受けた斎藤区長は、樫野浦の海岸に駆けつけた。
無残な船の残骸が岩だらけの海岸に打ちつけられ、
無数の遺体がその間を漂っている。

夜が明けたとはいえ、また強い雨が降りしきる中で、
虫の息の6人が村民の手で助け上げられた。
斎藤が休む間もなく樫野埼燈台へ向かうと、
そこには63人もの外国人が肩を寄せ合い、うめき声をあげていた。

遅れてたどり着いた53人は、荒波が打ち寄せる岸壁に
しがみついて夜を明かし、明るくなってから
燈台を目指してよじ登ってきたらしい。

斎藤は「ここでは狭すぎます」という瀧澤の言葉に頷き、
とりあえず自力で歩ける25人を近くの大龍寺に移すことに決めた。
先に樫野浦で助けられた6人も同じく大龍寺に運ばれ、
斎藤とともに駆けつけた小林健斎(けんさい)医師が
懸命の治療にあたった。

村民たちは協力して救護活動を始めた。
友吉も村人達と一緒に小林医師を手伝った。
遭難者たちの体の汚れを洗い、こびりついた血を洗い落とし、
水を飲ませ、大龍寺に移す作業に付き添った。
「おい、しっかり俺につかまれよ」
「もう大丈夫だ、安心しろよ」
「気をしっかり持てよ」
たとえ言葉は通じなくても、寒さと心細さに震える遭難者を
しっかりと抱きしめた大島村の男達の温もりは、
同じ海の男達の心にじんわりと染み込んでいったのである。
miurku 線1

◇エルトゥールル号の恩返し(5)

小さな村の長い1日

「外国船が難波して死者、負傷者多数。直ちに医師を派遣して欲しい」

斎藤区長の報せが大島村役場の
沖周(おきしゅう)村長のもとに届いたのは、
雨がようやく小止みになった17日の午前10時半頃のこと。

沖村長は直ちに郡役所と和歌山県庁へ事件の第一報を発したが、
最速の通信手段が電報だったこの当時、
県がこの事件を知ったのは18日の深夜であった。

その後、3名の医師と書記、駐在巡査を伴い、
陸路よりも速い船で樫野へ向かった沖村長は
午前11時半、斎藤区長と合流した。

樫野埼燈台で怪我人の状態を確認し、
重傷者を大龍寺へ、軽傷者は大島地区へ移すことにした。
重傷者38人は島民たちの手で、
ひとりひとり慎重に戸板に乗せて運ばれていった。
そこで英語の話せる人間を介し、
比較的元気そうな乗組員から詳しい事情を聞き、
ようやく凄惨な事故の詳細が明らかになったのである。

遭難したのはトルコのエルトゥールル号で重量1100トン。
横浜から神戸へ向かう途中、
16日午後9時半頃、樫野埼沖で岩礁に衝突し、船は沈没した。

乗船者は650名。生存者69名のうち58名が負傷。
つまり581名が死亡という大惨事だった。
しかも死亡者の中にはトルコの皇族も含まれていたのである。

事態の重大さを認識した沖村長は、
事故の詳細を語ってくれたハイダール四等鑑将と、
もう1人を外国領事館の多い神戸に行かせるとともに、
今後の指示を仰ぐため、
村役場の臨時職員・橋爪仁蔵(はしづめ・じんぞう)に同行を命じた。

彼らの神戸までの移送は、
暴風雨を避けて大島港に寄港していた防長丸の渋谷船長が快諾してくれた。
そして、
この日のうちに4人が村の共同墓地に埋葬され、
ようやく大島村民の長い1日は終わったのである。

紅白芝桜1

以下、続きます。
miurku 線1
ミルク m(__)m
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コメント
1472:透明な滴が落ちます・・感(┳◇┳)涙 by かたくり on 2011/03/18 at 19:12:49


 続きを待ってます~v-409e-259

 本当に感動する。

 あ、、、、湖出来た・・・・v-46e-317

1477:かたくりさま^ω^ by ミルク on 2011/03/19 at 11:46:50

この度、ミルクの紹介記事をまたUPして頂き、有難うございます。
m(_ _)m

すみませんが、今送った文の始めの部分の一部修正をお願いします。

タイトルの、エルトゥールル号の恩返しの部分、頭に「◇」を入れるのを忘れてました。(^^;
あと、その下のフォントの色を変えたサブタイトルの部分、逆にそこの◇は外して下さい。

そしてタイトルとサブタイトルの段落の間隔も先にUPされたものと同様に少し空けて下さいね。

宜しくです。m(_ _)m

1479:トルコ船 エルトゥールル号 画像 ^ω^ by ミルク on 2011/03/19 at 12:01:56

かたくりさま、エルトゥールル号の画像資料も提供します。^ω^

そちらで利用する機会があれば使って下さい。(=^ω^=)

1481:はーい^^  by かたくり on 2011/03/19 at 12:33:36


 あとから UPしておきますね^^

 (=^・^=)b

1488:日本が世界中から愛される真の理由(6)^ω^ by ミルク on 2011/03/19 at 16:52:34

◇エルトゥールル号の恩返し(6)

大島島民による懸命の献身

9月17日中に確認された生存者は合計69人。村民たちの手厚い看護の甲斐もあって、これ以後、新たな死者が出ることはなかった。
そして生存者は19日までに樫野よりも利便のいい大島地区に移され、大島港を望む高台にある蓮生寺に収容された。
ここへの移送も怪我人への負担が大きい陸路を避け、村民たちが船を出して行ったのである。

しかし、大島村は半農半漁の貧しい土地。69人もの遭難者に充分な施しを与えるには、衣類も食料も足りない。村民たちは全裸に近い遭難者のために、女性や子供の着物まで、
つんつるてんでも無いよりはましと、ありったけのものを持ち寄って着せた。

だが、衣類よりも更に問題なのは食糧事情だった。この年は漁獲量も少なく、米価の暴騰に加え、折からの台風接近のため漁にも行けず、食糧事情は最悪だった。

自分たちでさえ飢えを凌ぐのに精一杯という状況の中、それでも村民たちは貴重な米を炊き出し、蓄えていたサツマイモをふかして出した。

しかし、それでも大勢で大柄な遭難者たちの体力回復にはそれでも足りず、イギリス人の燈台看守のコックをしたことのある村人が、鶏を食べさせようと提案した。

各家々で時計代わりに飼われていた鶏は、ここの村人たちの最後の非常食でもあったのだが、これも村中から全て集められ、遭難者たちに振る舞われた。

一方、遭難者が収容された蓮生寺では本格的な治療が始まった。沖村長は医師と相談して、乗組員たちを負傷の程度によって分けることにした。
「名前は覚えられないから番号札を持たせて担当者を決めよう。言葉は通じないが、同じ人間だ。ずっと顔を付き合わせていれば、少しは相手の伝えたいことが分かるだろう」

こうして村民は、受け待ちの乗組員たちの表情の変化を読み取りながら、「水、飲むか?」「どこか痛いか?」と親身に語りかけ、献身的に看護にあたったのである。

自分たちのギリギリの生活さえ投げ打ち、名前さえ知らない異国人の救護に懸命に専心する村民たち。
その姿は、不安と心細さでいっぱいだった乗組員たちの心に深く刻み込まれたのだった。

一方、ハイダールらを乗せた防長丸は、18日午後9時に神戸に到着。事件を知った兵庫県の林薫(はやし・かおる)知事から宮内大臣に第一報が打電されたのは、19日の午前2時過ぎだった。

以下、続きます。

1494:エルトゥールル号 乗組員 画像^ω^ by ミルク on 2011/03/19 at 21:45:44

かたくりさま、エルトゥールル号の当時の乗組員たちの写真も提供します。m(_ _)m

神戸救護病院にて治療を受けた乗組員 ↓
http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-44-origin.fc2.com%2Fy%2Fa%2Fm%2Fyamatokamikaze%2Fo0350023710302410337.jpg/?cr=34253f8ddec5ac456aa362364df71508

1495:ミルクさーん 見られないw by かたくり on 2011/03/19 at 22:01:13

 見られなかったよぉー 

 もう一度送ってねー

1497:PCに写らない?^ω^; by ミルク on 2011/03/19 at 22:30:34

今度は上手くいくといいですね。(^^;

神戸救護病院にて治療を受けた乗組員 ↓
http://c.fc2.com/imgsa/http%3A%2F%2Fblog-imgs-44-origin.fc2.com%2Fy%2Fa%2Fm%2Fyamatokamikaze%2Fo0350023710302410337.jpg/?cr=f2b4e5a82344a2ac73c5cadcbb227db3

1498:画像が小さいけれど なんとか^^PC用に by かたくり on 2011/03/19 at 22:36:08


 ありがとう

 画像は届いているけれど
 少し小さいかな^^みんな和服だね^^
 いかにも明治時代って感じ^^
 心映えの素晴らしい人々^^
 ありがとう、戦前の日本人様達。

 ちょっと探してみるね。

 

1500:ウィルス対策ソフトによって遮断されます by ういはる on 2011/03/19 at 22:57:33 (コメント編集)

ミルクさんが紹介してくださった写真のページですが、FC2携帯変換ページ上に、PCから携帯へ変換された画像があります。

そのページの一番下に、「PC向けのページ」というリンクがあるのですが、そこにアクセスしたところ、私の使っているウイルス対策ソフトが「悪質な Web サイトを遮断しました」と表示され強制遮断されました。

なので、PCでは元サイト(携帯用に変換される前の画像が置いてあるサイト)を見ない方が良いかと思います。

1501:ありゃ^^; ういはるさん by かたくり on 2011/03/19 at 23:11:06


 σ(・・*)は 画像みられました^^;

 2回目のアドレスの方で。

 

1503:胸が熱くなります。 by kiki on 2011/03/20 at 09:24:46 (コメント編集)

エルトゥールル号のお話は、読んだことがありますが、
こんなに詳しいのは初めてです。
言葉でない、素朴で暖かい心の交流に、涙がでます。
ミルクさん、ありがとう。
続き待っています。

1504:kikiさま^ω^ by ミルク on 2011/03/20 at 10:15:58

エルトゥールル号にまつわるお話は、最後にまたあの緊迫のテヘラン空港での日本人救出劇の裏にあった感動のドラマに戻ります。

楽しみに待っていて下さい。^ω^

kikiさまも美しく素晴らしい詩(うた)を、いつも届けてくれてありがとうございます。

震災、原発危機で凍りついた私たちの心を溶かしてくれるように染み入ります。

お互い、希望と愛情を胸に前を歩みましょうね。(=^ω^=)♪

3227:トルコから和歌山へ 121年分の恩返し by かたくり on 2011/09/20 at 15:45:13


121年前の恩返しが、和歌山県の復興を後押しする。1890年(明23)に同県串本町沖でトルコ船「エルトゥールル」が沈没し、地元住民に救助されて以来、トルコは日本との友好関係を継続。台風12号による紀伊半島豪雨を受け、都内のトルコ寺院を救援物資の集積所として提供している。トルコ大使館は、今後の人的・物的支援を予定。東京・六本木のトルコ料理店は、和歌山県内の被災地で出店する意向を示すなど、支援の輪が広がり始めている。

 トルコ寺院「東京ジャーミイ・トルコ文化センター」の地下室には、下着や衣類、紙オムツ、即席ラーメンが入った段ボールが積まれていた。台風12号の被災地は、個人からの少量の支援物資を受け付けていないため、全国からの小口荷物をいったん、同寺院に集積。大口荷物にして、第1便の4トントラックを13日に和歌山県庁に送った。

 20日にも第2便が和歌山に向かう予定。支援活動の担当者は「トルコと縁の深い串本町は、比較的被害が少ないため、和歌山県庁で状況に応じた配分をしてもらうつもり」と話した。

 トルコと日本の絆は、121年もつながっている。初のトルコ使節団を乗せた軍艦エルトゥールル号は、1890年6月に横浜港に到着。同9月にトルコに向かって出港したが、台風による荒天で和歌山県串本町沖の紀伊大島で座礁、沈没。乗組員約600人が死亡する大惨事になったが、島民の献身的な活動で約70人を救助。手厚く看護し、日本の船でトルコへ送った。トルコはこの恩義を忘れず、今回の紀伊半島豪雨でも、串本町を含めた和歌山県の支援に乗りだした。

 トルコ大使館文化広報参事官室の大森正光氏(33)は「困った時に助け合うのが、真の友。トルコも自然災害が多く、共感する気持ちがある。今後は物資だけでなく、人的支援も含めて継続的に和歌山県をサポートしたい」と話した。1985年(昭60)のイラン・イラク戦争では、トルコ政府が日本人救出のための特別機を飛ばし、イランからトルコへの脱出をアシスト。99年のトルコ北西部地震では、日本がいち早く救援隊を送るなど、相互救助の歴史を積み重ねている。

 東京・六本木のトルコ料理店「デニズ」は、要請があれば、被災地で出店する意向を持っている。店員のトルコ人カヤ・ハリルさん(34)は「出店でも何でも、力になれることがあれば手伝いたい。トルコ料理はおいしいし、日本人の口に合うと思う」と話し、地元の肉料理「ケバブ」を勧めた。両国の相思相愛の関係は、復興支援という具体的な形になろうとしている。【柴田寛人】

 [2011年9月18日8時45分 紙面から]

http://www.nikkansports.com/general/news/p-gn-tp0-20110918-836855.html

◆◇◆
 親日国家トルコが
 こんな厚情をかけてくださいました!
 日本人は、忘れてはならないですよね!
 ありがたいですね。。。(┬┬_┬┬)

 もっともっと
 日本は、本当に親日国家との友好と
 交流を盛んにしなければならないと
 思います。
 近くには、台湾もあります!
 一人でも多く、知ることが大事ですね!

 感動 ・゚゚・(/□\*)・゚゚・
 m(;∇;)m うれしすぎるっ!



 

3228:トルコ大使館 by かたくり on 2011/09/20 at 16:25:58

 トルコ共和国大使館 文化広報参事官室(トルコ政府観光局)
http://www.tourismturkey.jp/


 トルコ
 歴史など
 ウィキ↓

 http://ja.wikipedia.org/wiki/TUR


 多数の民族が住んでいるようです。
 昨今の日本との現状は、
 ウィキによると
 両国の友好関係が築かれ親日国とされているが、現状では経済的関係では中国や韓国に圧倒されている。一般国民の日本に対する関心度も、必ずしも日本で喧伝されるほど高くはない。
 ↑ ↑
 だそうです。
 その中での今回の厚情です。
 日本人も相手国の歴史や民族性を理解しつつ
 恩義に報いる事を忘れないように教えて
 または伝えていく必要がありますね。

 有り難うございます
 トルコの皆様
 感謝。


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