カウンター アクセスカウンター 日本が世界中から愛される真の理由 2 - 和気藹々 ほっとひといきブログ
fc2ブログ
RSS

日本が世界中から愛される真の理由 2

3.20fuji
3.20fuji
トルコ国旗日の丸小1

◇エルトゥールル号の恩返し(6)

大島島民による懸命の献身

9月17日中に確認された生存者は合計69人。
村民たちの手厚い看護の甲斐もあって、
これ以後、新たな死者が出ることはなかった。

そして生存者は19日までに樫野よりも利便のいい大島地区に移され、
大島港を望む高台にある蓮生寺に収容された。
ここへの移送も怪我人への負担が大きい陸路を避け、
村民たちが船を出して行ったのである。

しかし、大島村は半農半漁の貧しい土地。
69人もの遭難者に充分な施しを与えるには、衣類も食料も足りない。
村民たちは全裸に近い遭難者のために、女性や子供の着物まで、
つんつるてんでも無いよりはましと、
ありったけのものを持ち寄って着せた。

だが、衣類よりも更に問題なのは食糧事情だった。
この年は漁獲量も少なく、米価の暴騰に加え、
折からの台風接近のため漁にも行けず、食糧事情は最悪だった。

自分たちでさえ飢えを凌ぐのに精一杯という状況の中、
それでも村民たちは貴重な米を炊き出し、
蓄えていたサツマイモをふかして出した。
「俺らの分を彼らに・・・」
「そやそや、俺らは元気なんやから、2~3日食えへんかっても死ねへん!」

しかし、
それでも大勢で大柄な遭難者たちの体力回復にはそれでも足りず、
イギリス人の燈台看守のコックをしたことのある村人が、
鶏を食べさせようと提案した。
各家々で時計代わりに飼われていた鶏は、
ここの村人たちの最後の非常食でもあったのだが、
これも村中から全て集められ、遭難者たちに振る舞われた。


一方、遭難者が収容された蓮生寺では本格的な治療が始まった。
沖村長は医師と相談して、
乗組員たちを負傷の程度によって分けることにした。
「名前は覚えられないから番号札を持たせて担当者を決めよう。
言葉は通じないが、同じ人間だ。
ずっと顔を付き合わせていれば、
少しは相手の伝えたいことが分かるだろう」
こうして村民は、
受け待ちの乗組員たちの表情の変化を読み取りながら、
「水、飲むか?」「どこか痛いか?」と
親身に語りかけ、献身的に看護にあたったのである。
自分たちのギリギリの生活さえ投げ打ち、
名前さえ知らない異国人の救護に懸命に専心する村民たち。
その姿は、
不安と心細さでいっぱいだった乗組員たちの心に
深く刻み込まれたのだった。

一方、ハイダールらを乗せた防長丸は18日午後9時に神戸に到着。
事件を知った兵庫県の林薫(はやし・かおる)知事から
宮内大臣に第一報が打電されたのは、19日の午前2時過ぎだった。
miurku 線1
トルコ国旗日の丸小1
◇エルトゥールル号の恩返し(7)

皇室外交と嵐の船出

この事件は当時の新聞各紙の号外で広く報じられた。
その概要は、
「天皇陛下に勲章を贈呈するために
渡来したトルコ軍艦エルトゥールル号が、
帰国途上の16日、紀州沖で暗礁に乗り上げ650名中587名死亡」。

エルトゥールル号はトルコの国王・アブデュルハミト2世が、
明治天皇にトルコ帝国金剛石大勲位書や勲章を贈呈するべく
派遣したものだった。
そのきっかけは、
小松宮彰仁親王(伏見宮邦家親王第8子・明治天皇の甥・仁孝天皇の養子)が
1886(明治19)年からの欧米歴訪にて皇室外交による親交を深めた帰路、
トルコのイスタンブールに立ち寄り、
アブデュルハミト2世から手厚く遇されたことにある。
小松宮彰仁親王の帰朝後、明治天皇が親王への厚遇を謝して、
アブデュルハミト2世に感謝状と漆器を贈ると、
トルコ側はその答礼として日本への使節派遣を決めた。

その背景には、欧米列強やロシアの南下圧力で
凋落傾向にあった国威の発揚、日本との通商条約締結の
可能性を探るなどの思惑もあったと思われる。
明治天皇に謁見し、勲章を贈呈するという大役を担う使節団長は、
海軍大臣の娘婿であるオスマン・パシャ海軍少将。
その使節団を移送するためにエルトゥールル号が選ばれた。

しかし、このエルトゥールル号の航海は、出発前から前途多難だった。
この船は、1863(文久3)年建造の古い木造帆船で、
速度も遅く老朽化が進み、長期航海が不安視されていた。
出発時期も再三延期の末、
1889(明治22)年7月14日にイスタンブールを出航したものの、
舵の損傷、ボイラー故障、暴風雨と、次々と不測の事態に見舞われた。

横浜港到着は翌年6月7日。
寄港した各地で諸般の行事があったとはいえ、
ほぼ同じルートを通った小松宮彰仁親王が
帰朝に要した期間が2ヶ月弱だったことを考慮すると、
11ヶ月に及ぶ航海がいかに困難を極めたものだったかが伺い知れる。

それでもオスマン一行は、皇居に参内して無事大役を果たし、
オスマンの勲一等、旭日大綬章を筆頭に随員一同にも勲章が贈与された。
後は帰国を待つのみだったが、
横浜で上陸した乗組員がコレラに罹患して次々と亡くなった。
日本側から船体の修理を済ませ、
台風をやり過ごしてからの帰国を勧められたが、
オスマン海軍少将は、祖国からの強い帰還命令に逆らえず、
天候の危険を承知で出航を強行した。

miurku 線1

◇エルトゥールル号の恩返し(8)

村人との突然の別れ

9月20日早朝、大島港にドイツの軍艦ウォルフ号が到着した。
「神戸又新日報」の号外で海難事故を知ったドイツ領事館の好意により、
エルトゥールル号の生存者救助のために向けられたものだった。

沖村長はウォルフ号に同乗して戻ってきた橋爪や、
同船した兵庫県の外務課員から事情を聞いた。
「橋爪、どういうことになっているんだ?」
「はい。兵庫県知事から、ドイツ鑑ウォルフ号で
生存者を神戸に連れて来るようにとの指示を受けています。
またウォルフ号の艦長は、生存者たちの収容が終わったら、
鑑を樫野埼に廻して埋葬式を行うので、
その準備をしてほしいと申しております」

早速、沖村長らが生存者の引き渡し作業を進める一方、
埋葬式の準備が始められた。
この時ウォルフ号に乗ったのは65人。
助けられた69人のうち、ハイダールら2人は既に神戸におり、
遺体確認などのため、2人が残ることになったのである。
こうしてエルトゥールル号の生存者は、
つい先程まで手厚く看護をしてくれていた大島の村民らに見送られ、
正午に大島港を出航した。

「達者でなぁ~」
「きっと無事で帰れよ~」
島民らは、思い思いに別れを叫んだ。
エルトゥールル号の乗組員たちも自力で立てる者、歩ける者はみな
甲板に立ち、港が見えなくなるまで手を振り続けた。

翌朝、
エルトゥールル号の遭難を憂慮した天皇・皇后両陛下の意向を受け、
生存者を東京へ移送する軍艦・八重山が大島港に到着した。
八重山は当時最速の新造鑑だったが、
修理で横須賀出航が遅れた上、遠州灘で暴風雨に遭い、
ウォルフ号に先を越された形になった。

しかし沖村長からウォルフ号が悪天候に阻まれ予定していた埋葬式を
行えなかったことを聞いた艦長の三浦功(いさお)大佐は、こう申し出た。

「我が八重山が途中で収容した遺体とともに埋葬式を行いましょう。
ちゃんとやってやらないと、浮かばれない」
「その通りです。ではこの遺体を樫野の埋葬地に運びましょう」
樫野では埋葬式の準備が整った。
埋葬地の中央には
使節団長オスマン・パシャ海軍少将仮墓所が設けられ、
その右にはアリ・ベイ艦長が葬られた。
樫野埼燈台の高台の埋葬地に、
三浦艦長以下八重山の乗組員、和歌山県の書記官、
むろん沖村長を先頭に、
この数日間、生存者の看護や遺体の収容に
労苦を厭わず奔走した村人たちの姿もあった。

そよぐチューリップ1
tonami:katakuri(トルコの国花がチューリップということで)

続く。トルコ国花チューリップ黄1
foto:katakuri
トルコ国旗日の丸小1

◇エルトゥールル号の恩返し(9)

生存者たちとの絆

皇室外交の重要性を認識していた皇室と宮内庁は,生存者たちの治療を
皇后が総裁を務める東京慈恵医院で行う準備をしていた。

しかし八重山と行き違いで彼らが神戸に移送され
和田岬消毒所に収容されたことが伝えられると、
直ちに式部官、侍医、日本赤十字社の医師たちを神戸に派遣した。

また、
療養中には皇后からフランネルの病床服が、
小松宮彰仁親王からは珍しい菓子などが差し入れられた。
生存者たちの大半がまだ20代の若者だったことも幸いし
傷の回復は順調だった。

治療中のエルトゥールル乗組員

そこで政府は9月26日、
軍艦比叡と金剛によるトルコ本国への送還を決定した。
10月11日、生還した乗組員69人は、
兵庫県が用意した真新しい洋服に身を包み、
比叡、金剛にそれぞれ分乗して神戸港を出港した。

そして長崎に寄港した際には両鑑揃って親睦会が開かれた。

「エルトゥールル号乗員の前途の健康と安全を祈る」
「今後、トルコ政府が再度軍艦を日本に派遣し、
両国の交誼が深まることを願う」

日本側が声をかけると、
「我々はこの度のあなた方の措置に心から感謝している」
「乗員一同は帰国後、日本人から受けた厚情を多くの同胞たちに告げる」
「貴殿らが我がトルコ政府から贈られる勲章を胸にかけて帰国することを願う」
と、トルコ側の乗組員らも応える。

そこには人種も国籍もなく、同じ苦難を乗り越えた仲間としての姿があった。

出港した両鑑は、エジプト、ポートサイドに到着した。
あとは地中海を北に横断し、ダーダルネス海峡を越えて
イスタンブールに向かうだけである。

ところがここで一行はパリ条約に阻まれ、オスマン帝国以外の軍艦が
ダーダルネス海峡を通ることは認められないとのトルコ側の意思が伝えられた。
比叡の田中綱常艦長は比叡、金剛で
イスタンブールに赴くことは断念し、
海峡手前のユクリ浦で乗組員らを引き渡すことにした。

27日、士官たちは艦長室に集まり、シャンパンで別れの宴を催した。
盃が進むにつれ、習い覚えた小唄を唄うひょうきん者もいたが
皆その表情は固かった。

「ここまで来て一緒にイスタンブールに行けないのは残念だ…」
「恩人と共に祖国の土地を踏めないのは申し訳ない」
「我々トルコ人はこのことをずっと忘れない。いつか恩返しがしたい。
例えそれが何十年先の未来になったとしても…」
miurku 線1

◇エルトゥールル号の恩返し(10)

涙の別れ、そして戦争

この当時トルコがダーダルネス海峡の軍艦の航行に
神経質だったのは、欧米列強の圧力によるものである。
無念の思いは、生存者を引き取りに来た
オスマン・パシャ海軍少将の義兄弟アリ・リザベー海軍大佐も同じだった。

日本側の乗組員が甲板に整列すると、
生存者たちは日本側の乗組員ひとりひとりに抱きつき、
頬ずりして別れを告げ、ある者は泣きじゃくり、
迎えに派遣されたタラワ号に乗り移った。
そして遠ざかるタラワ号の甲板から姿が見えなくなるまで、
精一杯手を振って別れを惜しんだ。
生存者の引き渡しを終えた比叡と金剛は
翌28日港の設備が整っているイズミールに移り、ここで越年する覚悟でいた。

ところが29日の夕刻、トルコの砲兵大佐マホメット・ベイが
朗報というべき電報を携えて比叡を訪ねてきた。
「トルコ皇帝閣下は軍艦比叡、金剛のイスタンブール来航を許可される。
この電報が達し次第、直ちにダーダルネス海峡へ進まれよ。
その到着を待って案内する」
こうしてトルコ皇帝の英断により比叡と金剛はイスタンブールに入港した。

両鑑の艦長と士官らは、アブデュルハミト2世に謁見し、
明治天皇の親書を贈呈。
一行は大いに歓迎されて40日余りイスタンブールに滞在した。

2月10日の出航日には多くの群集が見送りに集まり、
ハンカチを振って比叡と金剛を見送った。
両鑑は5月10日に品川に帰着し、
エルトゥールル号生存者送還という大役を終えたのである。

この海難事故の直後、新聞各社はこぞって義援金募集のキャンペーンを行った。
「時事新報」「東京日日新聞」「毎日新聞」
「神戸又新日報」「大阪朝日新聞」などが多額の寄付金を集めた。
これらは遭難者遺族に送られ、
一部は樫野の埋葬地の「士国軍艦遭難之碑」の建設費に充てられた。
尚、こうした義援金募集活動は新聞社に限らず、
民間団体や個人でも盛んに行われ、かなりの総額に達した。
また、これを機に公用私用でトルコを訪れる日本人が増えた。
大阪の中村商店はイスタンブールに支店を開き、
日本の工芸品などを扱い、民間レベルの交流が活発になった。
時を同じくして、トルコの親日感情を一気に高めたのが日露戦争である。

南下政策を推し進めるロシアと緊張関係にあったトルコにとって、
日本がロシアを打ち破った意味は非常に大きかったのである。

miurku 線1
トルコ国旗日の丸小1

◇エルトゥールル号の恩返し(11)

トルコを救った日本海軍

トルコの新聞では連日、日本とロシアの戦況を詳細に報じた。

なかでも1905(明治38)年5月27日、
東郷平八郎大将率いる日本海軍がロシアのバルチック艦隊を
撃ち破った日本海海戦での日本海軍の勝利は、
とりわけ熱い関心をもって報じられトルコ中を熱狂させた。
この日露戦争はトルコのエリートやインテリ層にも大きな影響を与え、
日本に関する出版物や言動が一気に増加した。

著名な詩人でトルコ共和国国歌(独立行進曲)の作詞者でもある
メフメト・アーキフは称賛を込めて日本の勝利を描写し、
女性作家で英文学者のハーリデ・エディープ・アドヴァルは、
日本海海戦の年に誕生した息子を「トーゴー」と名付けた。

奉天(ほうてん)でロシア軍を破った乃木希典(まれすけ)陸軍大将も
1911(明治44)年にトルコを訪問し、
メフメト5世(アブデュルハミト2世の弟)に謁見した。

この日露戦争の英雄にあやかり、
当時、息子に「ノギ」と名付ける親も少なからずいたという。

こうして深まったトルコの親日姿勢はその後も変わらなかったが、
第一次大戦では敵と味方に分かれたこともあり、
日本という国の中でトルコという国の記憶は、
年月の流れとともに次第に風化していったのである……。

miurku 線1

続く
関連記事
スポンサーサイト



 
人気ブログランキングへ
このエントリーのタグ: Illust
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
1510:昔の日本人と現在の日本人との違い by かたくり on 2011/03/20 at 12:10:57

 この友好物語に

 魂の底から揺さぶられるような気持ちに
 なりますよね。
 こういう触れ合いが出来た当時の人々に
 圧倒されます。

 当時の日本人のなんと清らかで素朴で
 自然な慈しみと助け合う気持ち。
 今も世界中の人々が望み続ける世界。
 それが当時の日本にあったという事が
 更に理解できる出来事ですよね。
 
 「人間として当然のこと」
 このことを自然の内にありのまま行える民族。
 それが、当時の日本人だったわけですね。
 
 翻って、今の日本人はどうでしょう?
 自分も含めて、どれだけの人が
 「人間として当然の事」と言って
 自然にさりげなく行動出来るでしょうか?

 戦後の60数年の間に
 すっかり、日本の素晴らしい智恵も
 魂も家族制度も思想(日本は世界で最も
 理想的ですぐれた社会主義だった。)
 も、GHQにより工作されて、更に日教組による
 思想毒を注入され、
 人情味のない、情緒のない、
 恥を忘れてしまった民族に成り下がりました。
 「らしさ」を忘れた為でしょうか。

 こういう友好の出来事を教育に
 とりいれられない教育のまずさ。
 今、こうしてネットで知ることが出来る人は
 どのくらいいるでしょうか?
 やはり、教育というのは、国を創る第一歩という
 事がわかりますよね。
 これからは、こういった事が表面化して
 元の日本人らしさを取り戻せたら
 良いと思います。

 これからも
 トルコと日本の友好がずっと続きますように。

 他のブログでも、いっぱい取り上げていますが
kikiさんがおっしゃるように
 これほどの詳しいのはありませんでした^^
 ミルクさん 続き待ってますので
 宜しくお願いしまーす^^
 (=^・^=)b

 

1513:ミルクさん^^ by クローバー on 2011/03/20 at 14:11:57 (コメント編集)

いつも読ませてもらってます
:*:゜・☆ヾ(σ_σ。)了└|力“├♪

こんな今だからこそ、
悲しみに飲み込まれそうになる心に灯る 明かりのよう。
詳細を知るにつけ、感動と感謝の気持ちが溢れてきます;;

日本人て本当は元々、根底には誰しもきっと持っているんだよね。
今回の様な未曾有の出来事があれば、国民のひとりひとりは
国境を越えて しっかり お互い思いやりをもって助け合える!
 (●`・∀・´)○)) そう信じられる!

こんな 多くの素晴らしい事実が、
もっともっと広く世間一般に伝わることを願いつつ、

次のupを楽しみにしています♪....d(´∀`●)

1516:ミルクさん by ぽんた on 2011/03/20 at 16:24:03 (コメント編集)

読んでいて、涙腺が、ゆるんでしまいました。続きを楽しみにしてますm(__)m

1519:ぽんたさま^ω^ by ミルク on 2011/03/20 at 17:31:04

実はミルクも自分で書いてて涙目になることもしばしば。(;_;)

ありがとうございます。感動のラストエピソードをご期待下さい。m(_ _)m

1520:かたくりさま、クローバーさま^ω^ by ミルク on 2011/03/20 at 17:44:05

皆さま応援ありがとうございます。m(_ _)m

そろそろ感動のラスト、お楽しみ下さい。
(=^ω^=)ノ♪

1523:続き 9,10は Upしました♪ by かたくり on 2011/03/20 at 20:12:20


 うるうるですね。

1530:かたくりさま^ω^ by ミルク on 2011/03/20 at 23:44:51

先ほど、感動の(12)、送りました。また手直しのお願いです。m(_ _)m

今回の文、印象深い部分の色を変えて、更に目立つようにお願いです。

まず、電話での交渉で、オザル首相が快諾する台詞の部分、

そして、

なんとその場にいた全員が手を挙げて志願した。

この部分↑赤字でお願いします。あと、

しかしその件でトルコ政府や日本を批判するトルコ人は誰一人としていなかった。

この部分。↑色はかたくりさまにお任せします。m(_ _)m
今回、行間がギチギチなので、間隔も少し空けて下さい。
それと、オザル首相や、イスタンブール、金角湾の画像資料を提供します。無事閲覧できるといいんですが。

(^ω^;)よろしくです。

オザル首相(大統領)↓

http://www.google.com/m/imgres?q=%EF%BE%84%EF%BE%99%EF%BD%BA+%EF%BD%B5%EF%BD%BB%EF%BE%9E%EF%BE%99%E9%A6%96%E7%9B%B8+%E7%94%BB%E5%83%8F&source=gmapi&gl=jp&hl=ja&site=images&imgid=8g711htMJdo4TM&imgsz=5119&imgurl=http://stat001.ameba.jp/user_images/20091110/15/create21/fd/70/j/t02200149_0300020310302424732.jpg&imgrefurl=http://ameblo.jp/create21/entry-10385145465.html&ht=149&wd=220&tbnh=72&tbnw=106

▼このエントリーにコメントを残す

   

Translation翻訳

魂の掛け軸

最新記事

わきあいRSS記事画像

RSSリンクの表示

最新コメント

カテゴリ

ごあいさつ (12)
宇宙・UFO・ET関連 (11)
地球の変容とアセンション (44)
神秘・預言・予言 (29)
竹内文書・皇祖皇太神宮・古代史 (18)
出口王仁三郎・ひふみ(一二三・日月)神示 (113)
一二三(ひふみ・日月)神示:一二三祝詞 (9)
出口王仁三郎・ひふみ神示(一二三・日月神示) (103)
日本列島は世界のひな型・相似形 (13)
日本と世界の近代史 (5)
生命科学 ライフサイエンス(Life Science) (4)
災害・食糧危機・お役立ち情報 (23)
原爆・原発 (4)
日本再生を模索する普通の人々 (3)
日本の誇りと自慢 (6)
陰謀と世の中おかしいこと (11)
陰謀 (4)
本当に何かがおかしい (5)
温暖化問題とそして風力発電所問題 (1)
洗脳問題 (3)
あなたの洗脳度をチェックしてみましょう。 (2)
政治関連・国際情勢 (11)
日本が世界中から愛される秘話 (12)
世界の愛すべき秘話 (2)
ほっとする話 (6)
和気藹々 ほっとニュース (6)
ほのぼのニュース・発明・発見ニュース (3)
ブレイクタイム・軽い話 (1)
風刺・時事川柳 (1)
和気藹々 談話室♪ (19)
ほっとする音楽 YouTube 動画紹介 (9)
ほっとする音楽 (1)
個別推薦YouTube音楽動画 (8)
お勧め動画・URL (2)
マイ・フィーリング(心情・ポエム) (21)
このブログへの想い・難しいね! (5)
Each room (17)
ミルクの小話・ひとりごと (6)
ぽんたルーム (11)
更新および連絡・質問 (3)
未分類 (3)

検索フォーム

全記事表示リンク

カレンダー

03 | 2024/04 | 05
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -

月別アーカイブ

リンク

和気藹々ブログ歴

47news

プロフィール

かたくりto ・ほっとひといきチーム

Author:かたくりto ・ほっとひといきチーム
ようこそ!和気藹々 ほっとひといきブログへ!
知的好奇心旺盛な癒し系からほのぼの系まで個性的なひといきチームとご一緒に♪

全国放射能測定値

全国の数値がわかります。

コガネモチ

忍者AdMax

未来の免許証!?

今後必要になる?

ブロとも申請フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR