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戦争と震災の焦土の中から生まれた友好の光(1)^ω^

fuji西湖

ベルギー国旗日の丸小1

今回の東日本を襲った大震災は、
実に多くの私たちの大切な財産、
そして何より生命をも容赦なく奪い去りました。

日本という国の歴史は、
ある意味震災の歴史と言ってもいいでしょう。
過去にもこの国は、大地の鳴動により、
幾たびとなく翻弄されてきました。

今回の震災でも、多くの国々からの日本への暖かい支援が、
現在もなお続いています。

実は今から1世紀近くも前、あの関東大震災の時にも、
当時としては破格の義援金を
日本に送ってくれた小さな国があったのです。

その国の名は、ベルギー…。

ベルギーからの贈り物(1)

当時、既に経済大国であるアメリカ、
そしてイギリスからも、確かに多額の義援金は送られました。
しかし、
日本中を最も驚かせたのは、
地震発生から僅か11日後に10万フランもの電報為替を
小国のベルギーが送ってくれたことでした。

ベルギーからの送金はそれ以後も継続的に行われ、
最終的には264万フラン(当時、日本円で約35万円)となったのです。

この金額は、
アメリカの2000万円、イギリスの400万円に次ぐ高額なのです。

贈り主のベルギーは、
国土の面積が日本の僅か12分の1にも満たず、
しかもこの義援金を贈る直前の第一次世界大戦でドイツに占領され、
ようやく独立したばかりという国家の状況にもかかわらず、
それは我が身をも顧みない破格の支援といえるでしょう。

一体なぜ、国力の乏しい小国ベルギーは、
そこまで日本を助けてくれたのでしょう。

実は、
その背景には両国の心温まる深い交流の歴史があったのです……。

チューリップ風車ライン中

ベルギーからの贈り物(2)

日本を守ったダネタン報告書

フランス、ドイツ、オランダに囲まれ、
海を隔ててイギリスと向かい合うベルギーの人口は、約1000万人。
その国土は、日本の九州よりもやや狭い面積です。

15世紀以後はフランス、オーストリア、スペインに次々と占領され、
19世紀初頭からはオランダの支配を受けました。

しかし1830年に独立し、
「世襲の元首の下における立憲君主代表制」
を宣言し、レオポルド1世が初代国王となりました。

関東大震災当時のベルギーは、
建国から100年にも満たない、まだ若い王国だったのです。
その後、
1993年に憲法を改正して
言語による共同体(オランダ語・フランス語・ドイツ語)、
領域による地域(フランドル・ワロン・ブリュッセル)で
構成される複合的な連邦国家となりました。

首都ブリュッセルはオランダ語とフランス語の併用地域で、
北大西洋条約機構(NATO)の本部や、
欧州連合(EU)の本部が置かれています。

そんなベルギーと日本の国交は、
1866年(慶応2年)6月21日に締結された
修好通商航海条約にまで遡ります。

日本にとっては
アメリカ、オランダ、ロシアなどの国々に次ぐ9ヶ国目の締結でした。
これを受けて、
1870年(明治3年)10月、特派全権公使トキント・ド・ローデンベークが来日し、
人的・経済的な交流が始まりました。
ベルギー側は優秀な外交官を日本に送り続けましたが、
中でも1893年(明治26年)に
特命全権公使として着任したアルベール・ダネタン男爵は
16年以上も日本(東京)に駐在して日本の良き理解者となり、
夫人のエリアノーラ・メアリー・ダネタンの
「ベルギー公使夫人の明治日記」は、
当時の外交関係者の動向や社交界の様子を伝える貴重な資料です。

16年にも及ぶダネタンの報告書からは、
日本を愛した外交官の公正な目から見た日本が綴られています。

日清戦争の折には、
「日本政府はヨーロッパ、特にイギリスが極東に重大な商業的関心を持ち、
交戦者に対して中立を守ったりしないという点を忘れている。
海運列強は自国の商業貿易を保護する手段を必ず講じるだろうし、
朝鮮において得られるであろう成功を
中国にも持ち込もうとすれば、日本は孤立するだろう」

ダネタンは日本の政策に懸念を抱いていました。

miurku 線1

続く。

(ミルク)チューリップ風車ライン中

ベルギー国旗日の丸小1

ベルギーからの贈り物(3)◇

≪日本に骨を埋めた恩人≫

特命公使として日本の地に留まり、日本に対する愛情を深める一方、
未だ欧州列強の本質に対する警戒心の希薄な日本の外交姿勢。

ダネタンは日本の政策に不安を抱きつつも、
「日本は傷病者に配慮し、赤十字は皇后陛下の後援のもとで
完璧なまでに仕事を遂行し、ジュネーブ協定は固く守られている」
と実に好意的でした。

1894年(明治27年)旅順港の占領にあたり、
日本軍が住民に対して残虐行為を行ったと報道がされました。

ダネタンは当初遺憾の意を述べ、
「旅順港で日本軍が行ったとされる残虐行為は、
米国記者により、多分に誇張されたものであった}
と修正報告を行っています。

「その場に居合わせたフランス武官から直接聞いた所、
殺されたのは兵士たちで、婦女子が殺されたという事実はない。
殆どの住民は占領前に避難しており、
町に残っていたのは兵士と工場の職人だけ。
日本軍は無残に扱われた戦友の亡骸を目の当たりにしながらも、
敵兵を捕虜にするだけに留めた」
こう事実を報告した上でダネタンは、
戦時下という異常事態における幾つかの行き過ぎを理由として、
日本側に不利益な結論を出さないよう
外務大臣宛てに書き送ってくれました。

また日露戦争の直前、ヨーロッパでは
「日本人の外国人への憎悪が増し、
日露が戦うと在日外国人が虐殺される」という報道がされましたが、
ダネタンはこれについても、
「外国人に対する憎悪や敵意は日本には存在しない。
単身、あるいは日本人のメイドを連れただけで、
外国人の婦人が日本の各地域を旅行している。
宣教師も自由に神の教えを説くことも保証されており、
在日外国人は仮に戦時下となっても、
日清戦争の時と同様、全く安全である」 と反論し、

開戦後の1904年(明治37年)
ヨーロッパで「日本軍がロシア兵の捕虜を虐待している」
という報道に対しても、
海戦で沈没したリューリック号の捕虜601名が日本軍に救出された。
2名の死者はロシア正教儀式に従い葬られた。
執り行ったのは日本軍がジュネーブ協定に則って直ちに自由にした
リューリック号の従軍司祭である
」と、
国際舞台に遅れ出た日本に対する誤解や偏見の中、
その是正に努め、真実を各国に伝えようと心を砕いてくれました。

そんな彼も
1910年(明治43年)7月25日、日本で亡くなり、
雑司ヶ谷墓地に埋葬されました。
 

国際社会の中で手探り状態だった日本。
そんな日本の味方をしてくれた一人のベルギー人。
数年後、日本は彼に恩返しをするかのように
ベルギーとの親交を深めていく.......。

miurku 線1

続く。

ミルク
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コメント
1769:かたくりさま^ω^ by ミルク on 2011/04/02 at 14:31:35

早速記事としてUPして頂き、ありがとうございます。m(_ _)m
そして早速、手直しのお願いです。

やはりフォントに(本当に)制限があるもんで、どうしても行間ギチギチになってしまいます。(^^;

なので、各段落の改行ごとに、1行づつ行間を空けて、スッキリ読みやすくして下さい。

あと、今回制限に入りきらなかった文章も少しあったので、そちらで追加補足をお願いします。
m(_ _)m

文章の終わり付近ですが、

「1910年(明治43年)
日本で亡くなり~」

の前に、→ そんな彼も、 という部分と、
最後の、 → 埋葬されました。 の後に、若干の追加文を。↓

国際社会の中手探り状態だった日本。
そんな日本の味方をしてくれたひとりの
ベルギー人。
数年後、日本は彼に恩返しをするかのようにベルギーとの親交を深めていく……。

↑この部分も最後に追加して下さい。

宜しくお願いします。m(_ _)m (^ω^=)

1770:行間を空ける? 携帯とPCじゃ見え方に差があるのね。 by かたくり on 2011/04/02 at 15:12:00


 追加などの事はわかりました。

 行の間隔は、こちらで毎回空けてあります^^
 ご心配なく。
 PCとの差があるのかな?
 σ(・・*)は、携帯からはわからないので^^;
 
 

1771:携帯なだけに…^ω^; by ミルク on 2011/04/02 at 15:30:10

文字数の制限の都合上、やはりどうしても詰めなきゃいけないですね。

一応コメント文字数は
1200字以上打てますが、一区切り分のエピソードでも、あっという間に使い切っちゃいますね。(^^;

改行や一段下げるだけでドンドン減っちゃう。(^^;

なので、場合によっては、段を縮めて文字数を稼ぎますよ。

辛うじて、改行だけはしてますけど。

(●^ω^●)♪

1774:そうだったの。その努力のお陰で素晴らしい記事が^^ by かたくり on 2011/04/02 at 16:29:40

 ミルクさん

 ガンバ―ヾ(●`・0・´●)ゞ―ァァァ!!!
 ありがとう~^^

 Upしましたよぉー^^
こちらも写真などの選択に
 気を引き締めてがんばるどぉ~^^
 
 続きまってるね 笑

1780:資料ありがとう。 刀のは明日探しておくね^^ by かたくり on 2011/04/02 at 21:18:56

 国王陛下の画像は、
 すでてに^^

 (=^・^=)b

1781:かたくりさま^ω^ by ミルク on 2011/04/02 at 21:44:47

宜しくお願いです。
m(^ω^)m

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