カウンター アクセスカウンター 親日国パラオと日本・魂の友好(日本・徳の遺産) - 和気藹々 ほっとひといきブログ
RSS

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

人気ブログランキングへ
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
2026:嗚呼、やっぱり感動です。。。 by クローバー on 2011/04/28 at 18:58:12 (コメント編集)


かたくりさん、
特に、この記録はペリリュー島の人達との別れのシーンが、
涙なくしては 読み進められませんね…。(இ(ェ)இ、) うるうる…
素晴らしい日本軍の方々に尊敬と感謝の念で一杯です。
今に生きる私達に 多くの大切なことを教えてくれています。

当時の島民との絆はいつまでも色褪せることなく後世に伝えてくれているパラオの人々。
何から何まで、日本人以上に 本当の日本人の魂を感じますね。

このような事実から、何が大切かを学ぼう。^^
そして もっともっと日本の世間一般に広まりますように。

英霊の皆様に合掌…。

2028:最も感謝の対象は、相手国の人々にですよね。宝物の気持ちです。 by かたくり on 2011/04/28 at 19:45:17


 日本の先人達に
 優るとも劣らぬ、素晴らしい相手国の真心。

 これほどの魂のやりとりは、ないですよね。
 有り難いのと同時に、
 伝えていく事の大事さを痛切に感じますね。

 先人達の覚悟と決意の魂。
 ほんの少しでもできたらいいなあって
 決意しました・・・滝汗。

2029:訂正 by クローバー on 2011/04/28 at 19:55:56 (コメント編集)


素晴らしい日本軍の方々に
  ↓
素晴らしい日本軍とパラオのの方々に(抜けてました^^;;)

2037:胸が熱いです。。 by kiki on 2011/04/29 at 23:10:19 (コメント編集)

パラオの国旗、
なんと想いが満ち溢れているのでしょう。
そして、「ペ島の桜を讃える歌」 が、
まっすぐに、遠くわたしたち日本人に、
ずっと変わらず歌い継がれているんですね。
知らなかった事が悲しいです。

崇高で勇敢な大和魂。
深く感謝を忘れず語り継ぐパラオの方の魂。
純粋で美しく、本当に感動します。

いつか、平和に満ちた世界になって、
こんな悲しみなく、ただ暖かく優しく繋がり合う日が
きますように。
島に眠る英霊の方々もきっと、
それを願い続けて下さっている事でしょう。

3848:訂正です by 名前書いてね on 2012/08/11 at 05:50:15

同じ祖国を愛する一人の日本人として熱く心を打たれました。
こうした歴史を後世に伝えてゆくのが我々の使命だと思います。


石碑の英文で間違いがありましたので、老婆心ながら訂正させて頂きます。

本文中
this island
となっておりますが、正しくは
this island
(この島)であろうと思われます。

3849:訂正のお知らせ有り難うございます^^ by かたくり on 2012/08/11 at 08:22:32


 訂正のお知らせ有り難うございます。
 m(_ _)m 

 永久に語り継ぐ歴史だと思います。

 まもなく、8月15日です。 
 日本の誇りある英霊達に
 心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。

 もっともっと
 老若男女を問わず、年齢を問わず
 日本と日本の国体と不二なる国土を
 守りたいですね。


4164:NoTitle by 名前書いてね on 2014/08/27 at 09:55:53

日本軍を蔑む人たちがいますよね。元日本兵だった人まで…
ですが、蔑む人たちの言葉が本当に事実なら(嫌々やってた、やりたくなかった、残虐だった、卑劣だった…等)、即座に陥落してたでしょうし、島民からこんなに慕われるはずもありませんよね。

マハティール首相は村山首相に「日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために
国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして欲しい」
とさえ言っていたし、有名な「もし日本なかりせば」という演説も行っているが、後年、日本を見限り、「今の日本は、反面教師でしかない」と言っている。

戦後の我々は、(特アを除く)アジア諸国から見て、当時と同じ、もしくは、当時よりもよくなって見えているだろうか?
私は「否」だと思います。
台湾などからも、「戦前の日本人の面影を求めて」多くの人々が来られるといいます。
その彼らの目に映る我々は、どう見えているでしょうか。
我々は、戦前戦中の日本人を穢してはいませんか。
一挙手一投足、そのすべてが、彼らを穢すことにもなりかねません。
「今の日本に“日本人”はいない」もしくは、「あの時の日本人が、今もここにいる」
我々の背中は、どちらで見られているでしょう。

こういう話を聞くたびに思います。

とりあえず五省
一、至誠しせいに悖もとる勿なかりしか
真心に反する点はなかったか
一、言行げんこうに恥はづる勿なかりしか
言行不一致な点はなかったか
一、気力きりょくに缺かくる勿なかりしか
精神力は十分であったか
一、努力どりょくに憾うらみ勿なかりしか
十分に努力したか
一、不精ぶしょうに亘わたる勿なかりしか
最後まで十分に取り組んだか
を胸に、「後に続くものを信ず」と言った彼らを、穢さないように努めましょう。

4165:Re: NoTitle by かたくり on 2014/08/27 at 11:06:15


太字の文
 コメント有り難うございます^^


 アジアの国々から
【戦前の日本と日本人の面影を求めて】来日され、
がっかりしたと最近は各自のブログで
評価されていますね^^;

 しかし、
その評価だけで自信を失うことなく、
各自気づいた人達から
【日本の本当の歴史】を自力で学び直し、
【日本人の気質】を受け継いでいる事を自覚し
さらに先人達の良き行いなどを学び直し
自分なりに基本とする努力をし続ける事が
肝心だと思います。

 ペリュリュー島のお話は、
下記でも観られます。
池間哲朗様facebook
 https://www.facebook.com/tetsuro.ikema?hc_location=timeline

 池間様の実行されている事。
 http://www.realinsight.co.jp/npj/


 桜チャンネルでは、
 http://www.youtube.com/watch?v=juiLZcPnYPQ

 お互いに日本のためにも
 頑張りましょう。

▼このエントリーにコメントを残す

   

親日国パラオと日本・魂の友好(日本・徳の遺産)

paraosyoto1
foto:parao
クローバー線1
 書こうとして、
 その都度、涙があふれ書けなかった先人の徳の遺産。
 亜細亜に於ける話しは、特にそうです。
 この先人達の高い精神による徳の遺産によって、
 今生きている我々が受ける世界からの恩恵の大きさは
 はかりしれません。
 今、先人達の事を知る大切な時期だと思います。
 そこで
 すでに本になっている事でも、また他ブログでも
 取り上げている事もあり、今回当ブログでは、
 転載にて取り上げる事にします。
 (止めど流れる涙が・・・申し訳ありませんm(__)m)
クローバー線1

パラオmap1
パラオ国旗日の丸小1

愛する祖国日本を守るため!愛する人々を守るため!
 祖国を思う強い心根と壮絶な戦いと玉砕に込められた大和魂


 昭和19年、第二次戦争末期、パラオ諸島のペリリュー島で
 日米の戦いが始まった。
 米軍は、圧倒的な軍事力と兵力によって数日で決着をつけるつもりだった。
 しかし・・・
※転載開始※
 当時、日本軍はフィリピンを防衛するために、その島に東洋最大といわれる飛行場を建設していました。ペリリュー島は日本にとって、いわばフィリピン防衛の防波堤であったのです。昭和十九年になると、米軍は対日包囲網を圧縮してきました。米陸軍を指揮するマッカーサーにとって、フィリピンを攻略するためには、フィリピンの背後に位置するペリリュー島を奪取しなければ、戦況を有利に進めることはできませんでした。そこで、米太平洋艦隊を指揮するニミッツ提督は、マッカーサーの作戦を助けるために、第一海兵師団〈師団長、ウィリアム・H・リュバータス少将)にペリリュー島の占領を命令しました。さらに、勇名を以て鳴るハルゼー大将が指揮する第三艦隊約八百隻の艦艇が、海兵隊支援のために差し向けられました。
※追記1 米軍は日本軍の兵力の14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍の軍備力でした。

 これに対するペリリュー島を守備する日本軍は、水戸の第十四師団座下の歩兵第二聯隊を主力とした地区隊(隊長・中川州男(くにを)大佐)一万二千名。これまで太平洋の島々が攻撃された時、日本軍の持久期間が短かく次々玉砕しました。それは「水際撃退」を至上の戦法にしてきたからでもあります。その戦訓をいかし、ペリリューでは、内部に深く洞窟を構築して待機していました。

 既に制海権・制空権を手にしている米軍は、狭い小島に文字通り絨毯(じゅうたん)爆撃と艦砲射撃を加え、九月十五日、航空母艦を含む機
動部隊を背景に、上陸作戦を敢行してきました。総兵力四万二千。それに対して、我が方は、二度までも上陸を阻止するほど勇戦しました。しかし衆寡敵せず、上陸を許してからは、予定通り五百の洞窟にこもって、持久戦に移りました。連日連夜、彼我肉迫する戦闘が続きました。我軍は弾丸や食糧の補給が続かなく、死傷者が続出しました。しかし七十三日間を持ちこたえ、健在者は僅か五十数名に減ってしまいました。

 そして十一月二十二日、中川隊長は、パラオ地区集団参謀長多田督知大佐宛、訣別の電報を打ちました。その一節ーーー。

 三、地区隊ハ本二十四日以降、統一アル戦闘ヲ打切リ、残ル健在者約五十名ヲ以テ遊撃戦闘ニ移行、飽ク迄持久ニ徹シ米奴撃滅ニ邁進セシム。重軽傷者中戦闘行動不能ナルモノハ自決セシム。

 四、将兵一同聖寿ノ万歳ヲ三唱、皇運ノ弥栄ヲ祈念シ奉ル。集団ノ益々ノ発展ヲ祈ル。

 二十四日、いよいよ全軍玉砕の時が迫りました。中川大佐、そして第十四師団から派遣されていた村井権治郎少将、飯田義栄中佐の三人は、それぞれ古式に則って割腹自決。三人のあっぱれな最期に続けと、最後の決死隊が組織されました。根本甲子郎大尉以下、傷だらけの五十五名は、夜鬼のごとくになって突撃してゆきました。米海兵隊公刊戦史によれば、「日本の斬込隊の一団は、米軍の包囲圏を突破できず、二十四日の夜から二十七日七時頃までの間に米軍と激しく交戦、全員玉砕した」とあります。そして、軍旗も機密書類も焼却したことを意味する最後の電文「サクラ・サクラ」が、パラオ本部に届いたのは、二十四日の十六時でした。この六文字の電文は、ペリリュー守備隊全員が、桜花のごとく散ったことを意味するのです。

 それは、一万人の死をもって謳いあげた世界で最も短かく簡潔な詩といえましょう。これ以上に余韻をもった傑作は、他に例を見ないのではありますまいか〈中川大佐は戦死して二階級特進、中将となる。墓は郷里熊本県にある)。
 
中川州男陸軍大佐1
 中川州男陸軍大佐

オレンジ・ビーチのいわれ 
 我が軍としては、二十四日をもってペリリュー島は玉砕したものと確認していました。ところが、中川隊長の最期や命令を知るすべもなかった西海岸守備隊は、その後も抵抗を続けました。米軍から武器弾薬はもとより食糧衣類を奪い、神出鬼没のゲリラ戦を続けていました。山口永少尉以下、陸海軍の生き残り兵三十四名。それも敗戦後の昭和二十二年四月二十二日まで、彼らはおよそ二年半にわたって戦闘を続行したのでした。

 この生き残り兵の大半は、最初米軍が西海岸に上陸した時、最も果敢に戦った勇者たちでした。米軍は占領後、激戦の行われた西海岸をオレンジ・ビーチと名づけました。それは、アメリカ兵の血で美しい珊瑚の海面がオレンジ色に染まったからだ、といいます。現在「オレンジ・ビーチ」は、ペリリュー島の正式名になっております。

 ニミッツ提督はその著『太平洋海戦史』(重松譲・富永謙吾共訳〉の中で、ペリリュー島の戦闘に相当のページをさき、次のように結んでいます。
「ペリリューの複雑極まる防備に打ち克つには、米国の歴史における他のどんな上陸作戦にも見られなかった最高の戦闘損害比率(約四〇パーセント〉を甘受しなければならなかった。既に制海権制空権を持っていた米軍が、死傷者あわせて一万人を超える犠牲者を出して、この島を占領したことは、今もって疑問である」


ここで特筆しておかねばならないことがあります。
ペリリュー島には、それまで現地住民が住んでいました。
島民は白人の統治と日本時代を身をもって経験しているので、大人も子供も、日本軍と一緒に戦う決意を持っていました。しかし日本軍としては、住民を戦火に巻き込んではならないという配慮から、船舶の乏しい中、空襲を避けつつ夜間を利用して全員をパラオ本島に退避させました。
※追記2
壮絶で長い戦闘が繰り広げられたにもかかわらず、
このペリリュー島の「民間人」には、
「ただの1人も犠牲者が出なかった」のです。
遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。
「あそこでみんな死んでいったんだ・・・」
沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。
老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。
やがて戦況は日本に不利となり、
いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。
仲間達と話し合った彼は代表数人と共に
日本の守備隊長のもとを訪れた。
「自分達も一緒に戦わせて欲しい」と。
それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」
日本人は仲間だと思っていたのに…みせかけだったのか。
裏切られた想いで、みな悔し涙を流した…。
船に乗って島を去る日 日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。
そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。
先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。
その瞬間、彼は悟ったという。
あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと・・・。

この誠意が通じたのか、
戦いが終って帰島した彼らは、日本人の遺体を見て泣きました。
「アメリカ人は、日本人の遺体には見向きもせず、
自国兵の遺体だけを整理した。
ここに、征服民族の本性を見る」として、
島民はこぞって日本軍の遺体を葬りました。
日本の人達がいつ来てもよいようにと、
その後も墓地の清掃に心掛けました。

 
現在も島民の親日感情は極めて強く、沖山豊美(やまとよみ)という日本名を持つ女史は、日本統治時代をなつかしみ、「愛国行進曲」を間違わずに歌ってみせ日本人と見れば、
「日本という国は何千年来の伝統を持ち、独自の文化を創りあげてきた。その結晶が天皇と教育勅語だ」という趣旨を、熱っぼく語り、日本人の度胆を抜くそうです。

 さらに彼らは、ペリリューを守って玉砕した一万人余の英霊を決して忘れていません。
日本から遺骨収拾に行くと、
戦死者は母なる大地ペリリューに抱かれているのだ。収拾などしないで、静かに眠らせてほしい」と言うそうです。
現在、島の中央部に近い「島民墓地」の一角に、高さ約四メートルの「みたま碑」(三角錐型)が建っています。それを中心に、日本の各団体によって三十数基の慰霊碑が肩を寄せあうように建立されました。
 そして昭和五十七年五月には、「青年神職南洋群島慰霊巡拝団」(清流社会長・滑川 裕二(なめかわゆうじ)氏主催)二十名が、船坂弘(ふなさかひろし)氏の助力を得て、ペリリュー神社を創建しました。すべて日本から運搬した材料を使い、島民の多大の協力を得て、十日間を費して完成しました。御祭神は天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」です。現在、神社前の左の掲示板には、ペリリュー島のイサオ・シゲオ尊長(そんちょう)によってこの趣旨が書かれています。そして右の掲示板には、戦闘の経過が要約され、米国公刊戦史に載っているとして、次の詩的な一文で結ばれています
  
この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶うその心根を…… 
この詩は、戦終ればかつて敵であった日本軍の忠勇武烈ぶりを、このように讃えております。そしてこの島を訪れる旅人に、その勇戦ぶりを伝えてくれ、と戦死者に代って願っているのです。
私はこの印象的な英文を確認したいと思って、『米公刊戦史・海兵隊史』を捜して貰いましたが、見つかりません。ニミッツの『太平洋海戦史』にも、載っておりません。この文章は一種の詩だから、戦史としては、ふさわしくないとも言えます。それでは、どこに載っているのか。

 文献あさりをしていた時、浦茂氏(元・航空幕僚長〉から教えられました。浦氏が昭和五十九年に渡米し、ニミッツの資料を求めて、アナポリス海軍兵学校を訪れました。その時、教官からニミッツの詩として教えられた英文は、次のようなものでした。
Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.

石碑ペリリュー島ニミッツ提督石碑英語1
 ニミッツ提督と讃えた石碑

sakura額縁fuji

ペリリュー島に散った桜勇士たちへ讃える詩
大東亜戦争終結後、それまで日本の領土であった、パラオ・グアム・サイパンなど、南洋の島々はアメリカの統治領となり、パラオでは1981年に憲法を制定、1994年にパラオは米国より独立し、国連に加盟しました。

 最後に島民の登場を願いましょう。

昭和五十六年一月、パラオ共和国が誕生した時、日の丸をデザイン化した国旗を制定したことは、前章で触れました。それと共に、独立を記念して、ペリリュー島守備隊を讃える歌も作りました。全文が船坂弘著『血風ペリリュー島』の「はしがき」の末尾に載っているので、ここに紹介します。作詩者はペリリュー島のオキヤマ・トヨミ、ショージ・シゲオの両氏。題は「ペ島の桜を讃える歌」です。
ペリリュー兵士とは「日本兵を意味」しており、題して「ペ島の桜を讃える歌」と言います。
ペ島の桜を讃える歌

   一
激しく弾雨(たま)が降り注ぎ
オレンジ浜を血で染めた
つわもの
強兵たちはみな散って
ペ島(じま)は総て墓地(はか)となる

    二
小さな異国のこの島を
死んでも守ると誓いつつ
山なす敵を迎え撃ち
弾(たま)射(う)ち尽くし食糧(しょく)もない

    三
将兵(ヘいし)は”桜”を叫ぴつつ
これが最期の伝えごと
父母よ祖国よ妻や子よ
別れの”桜"に意味深し

    四
日本の”桜"は春いちど
見事に咲いて明日(あす)は散る
ペ島(じま)の”桜"は散り散りに
玉砕(ち)れども勲功(いさお)は永久(とこしえ)に

    五
今守備勇士(もののふ)の姿なく
残りし洞窟(じんち)の夢の跡
古いペ島(じま)の習慣で
我等勇士の霊魂(たま)守る 

    六
平和と自由の尊さを
身を鴻(こな)にしてこの島に
教えて散りし"桜花"
今では平和が甦る

    七
どうぞ再びペリリューヘ
時なし桜花(さくら)の花びらは
椰子の木陰で待ち佗(わび)し
あつい涙がこみあげる    

    八
戦友遺族の皆さまに
永遠(いついつ)までもかわりなく
必ず我等は待ち望む
桜とともに皆さまを



 ペリリュー島の玉砕戦を、日本の国花・桜に託し、見事に謳いあげた歌詞です。ペ島の勇者を弔う歌として、これ以上のものは作れないのではないか。守備隊員は、サクラ・サクラという最後の電文を打って、文字通り集団の桜花のように散っていったのです。島民からこのように讃えられて、一万の英霊も、もって冥することができるのではないか。
 私は深い感動に襲われながらも、桜を見たことのない島民が、日本語を使って、よくぞここまで作れたものだ。ひょっとしたら、著者の船坂さんが相当補作されたのではないかー―ー失礼ながらそんな疑問が湧いてきました。この疑問を率直に、著者に投げかけてみました。船坂さんの答は次のようなものでした。

「たしかに、ペリリュー島には桜はない。島民は殆んど桜を見たことがない。しかし、彼らは戦前日本の教育を受けている。それだけに、日本人よりも美しい桜ヘのイメージがある。それに彼らは、戦争直後、倒れた多数の軍人の遺体を葬り、今でも毎日一万の英霊と共に生活しているのだ。歌詞にあるように、ペ島はすべて墓地なのだ。それだけに、日本人以上の気持がこの歌詞となって結晶したと思うのだ。それを汲みとってほしい」

 この歌は同時に作曲もされました。作曲者は同島小学校副校長、ウィンティ氏。彼らは今もこの歌を愛唱しているそうです。

パラオ国旗のエピソード
パラオ国旗中 

パラオがアメリカから独立した際に、独立にあたって定められた「国旗」は、
一般国民から公募した70数点の中で、
「青い太平洋に浮かぶ、黄色い月」が一番人気であり、現在の国旗となりました。
パラオでは、この国旗について伝えられるエピソードがあります。

「太陽(日本)」があってこそ「月(パラオ)の輝きがある」との意味が込められており、また、月が中心から微妙にずれているのは「日本に敬意を表し、同じでは日本に失礼だから」と、わざと中心からはずしたとの事です。

パラオの人々は、「日本軍は私たちを、命に代えて守ってくれた」との感謝の気持ち、そして、「強力な米軍と戦った日本人の勇敢さと純粋さ」に敬意を抱き、「英霊たちは勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのだ」と、今でも日本を敬っています。

「私達は、国旗の選択に相当苦労しました。
大募者は悉く各島の人々であり、
それぞれの旗にパラオの歴史と伝統がこめられていた。
だから
選考委員は真剣であった。選考に日数をかけた。
でも、最終的にこの旗に決まったのは、
日本の旗に一番似ていたので最大の人気が集まった。
日の丸の部分を黄色にしたのは、月を現す。
周囲の青地は海を意味する。月は太陽が出ないと輝くことはできない。
つまり月は太陽によって 支えられ、月としての生命を持つ。
太陽とは日本のことである。
海に囲まれたパラオという国は
日本の太陽の反射によって輝かねば生きられないのである。
我々はまた、戦争中に、日の丸を掲げて強大な米軍と交戦した
日本軍将兵の勇敢さと純粋さに大きな魅力と尊敬を捧げている。
一万に及ぶ英霊たちは私達に勇気と国を想う心があれば、
アメリカよりも強くなれることを 教えて死んだのである」

参考
ペリリュー島のサクラと神社
ペリリューの戦い(ウィキペディア)

博士の独り言
ねずきちのひとりごと
近野滋之・民族主義者の警鐘
日本パラオ協会
一燈照隅

Youtube日本とパラオ
60秒でわかるパラオ
麻生総理とパラオ大統領

※※※
 2月から書こうとして書けなかった「パラオとの魂の絆」でした。
 3月には、未曾有の地震と放射能汚染が続き、やっと本日、記事にできました。
 戦後の日本人は、こうした先人の事をあまりにも知らなすぎました。
 GHQがどうのなどの事もありますが、やはり戦後道徳といいますか
 日本人の精神性を軽んじてきた事が悔やまれますね。
 今一番欲しいのは、こうした高い精神性だと思います。
 地球から人類への警鐘の真っ只中にいる我々に
 必要な真の心、魂のこもった行いを教えてくれます先人達に
 感謝の気持ちだけじゃなく、今こそ一人一人が持つべき覚悟の
 ように思います。
 今だからこそ。

 かたくり

関連記事
スポンサーサイト

人気ブログランキングへ
このエントリーのタグ: Illust *
トラックバック
トラックバック送信先 :
コメント
2026:嗚呼、やっぱり感動です。。。 by クローバー on 2011/04/28 at 18:58:12 (コメント編集)


かたくりさん、
特に、この記録はペリリュー島の人達との別れのシーンが、
涙なくしては 読み進められませんね…。(இ(ェ)இ、) うるうる…
素晴らしい日本軍の方々に尊敬と感謝の念で一杯です。
今に生きる私達に 多くの大切なことを教えてくれています。

当時の島民との絆はいつまでも色褪せることなく後世に伝えてくれているパラオの人々。
何から何まで、日本人以上に 本当の日本人の魂を感じますね。

このような事実から、何が大切かを学ぼう。^^
そして もっともっと日本の世間一般に広まりますように。

英霊の皆様に合掌…。

2028:最も感謝の対象は、相手国の人々にですよね。宝物の気持ちです。 by かたくり on 2011/04/28 at 19:45:17


 日本の先人達に
 優るとも劣らぬ、素晴らしい相手国の真心。

 これほどの魂のやりとりは、ないですよね。
 有り難いのと同時に、
 伝えていく事の大事さを痛切に感じますね。

 先人達の覚悟と決意の魂。
 ほんの少しでもできたらいいなあって
 決意しました・・・滝汗。

2029:訂正 by クローバー on 2011/04/28 at 19:55:56 (コメント編集)


素晴らしい日本軍の方々に
  ↓
素晴らしい日本軍とパラオのの方々に(抜けてました^^;;)

2037:胸が熱いです。。 by kiki on 2011/04/29 at 23:10:19 (コメント編集)

パラオの国旗、
なんと想いが満ち溢れているのでしょう。
そして、「ペ島の桜を讃える歌」 が、
まっすぐに、遠くわたしたち日本人に、
ずっと変わらず歌い継がれているんですね。
知らなかった事が悲しいです。

崇高で勇敢な大和魂。
深く感謝を忘れず語り継ぐパラオの方の魂。
純粋で美しく、本当に感動します。

いつか、平和に満ちた世界になって、
こんな悲しみなく、ただ暖かく優しく繋がり合う日が
きますように。
島に眠る英霊の方々もきっと、
それを願い続けて下さっている事でしょう。

3848:訂正です by 名前書いてね on 2012/08/11 at 05:50:15

同じ祖国を愛する一人の日本人として熱く心を打たれました。
こうした歴史を後世に伝えてゆくのが我々の使命だと思います。


石碑の英文で間違いがありましたので、老婆心ながら訂正させて頂きます。

本文中
this island
となっておりますが、正しくは
this island
(この島)であろうと思われます。

3849:訂正のお知らせ有り難うございます^^ by かたくり on 2012/08/11 at 08:22:32


 訂正のお知らせ有り難うございます。
 m(_ _)m 

 永久に語り継ぐ歴史だと思います。

 まもなく、8月15日です。 
 日本の誇りある英霊達に
 心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。

 もっともっと
 老若男女を問わず、年齢を問わず
 日本と日本の国体と不二なる国土を
 守りたいですね。


4164:NoTitle by 名前書いてね on 2014/08/27 at 09:55:53

日本軍を蔑む人たちがいますよね。元日本兵だった人まで…
ですが、蔑む人たちの言葉が本当に事実なら(嫌々やってた、やりたくなかった、残虐だった、卑劣だった…等)、即座に陥落してたでしょうし、島民からこんなに慕われるはずもありませんよね。

マハティール首相は村山首相に「日本が50年前に起きたことを謝り続けるのは理解できない。過去のことは教訓とすべきだが、将来に向かって進むべきだ。日本はこれからのアジアの平和と安定のために
国連安保理常任理事国入りして、すべての責任を果たして欲しい」
とさえ言っていたし、有名な「もし日本なかりせば」という演説も行っているが、後年、日本を見限り、「今の日本は、反面教師でしかない」と言っている。

戦後の我々は、(特アを除く)アジア諸国から見て、当時と同じ、もしくは、当時よりもよくなって見えているだろうか?
私は「否」だと思います。
台湾などからも、「戦前の日本人の面影を求めて」多くの人々が来られるといいます。
その彼らの目に映る我々は、どう見えているでしょうか。
我々は、戦前戦中の日本人を穢してはいませんか。
一挙手一投足、そのすべてが、彼らを穢すことにもなりかねません。
「今の日本に“日本人”はいない」もしくは、「あの時の日本人が、今もここにいる」
我々の背中は、どちらで見られているでしょう。

こういう話を聞くたびに思います。

とりあえず五省
一、至誠しせいに悖もとる勿なかりしか
真心に反する点はなかったか
一、言行げんこうに恥はづる勿なかりしか
言行不一致な点はなかったか
一、気力きりょくに缺かくる勿なかりしか
精神力は十分であったか
一、努力どりょくに憾うらみ勿なかりしか
十分に努力したか
一、不精ぶしょうに亘わたる勿なかりしか
最後まで十分に取り組んだか
を胸に、「後に続くものを信ず」と言った彼らを、穢さないように努めましょう。

4165:Re: NoTitle by かたくり on 2014/08/27 at 11:06:15


太字の文
 コメント有り難うございます^^


 アジアの国々から
【戦前の日本と日本人の面影を求めて】来日され、
がっかりしたと最近は各自のブログで
評価されていますね^^;

 しかし、
その評価だけで自信を失うことなく、
各自気づいた人達から
【日本の本当の歴史】を自力で学び直し、
【日本人の気質】を受け継いでいる事を自覚し
さらに先人達の良き行いなどを学び直し
自分なりに基本とする努力をし続ける事が
肝心だと思います。

 ペリュリュー島のお話は、
下記でも観られます。
池間哲朗様facebook
 https://www.facebook.com/tetsuro.ikema?hc_location=timeline

 池間様の実行されている事。
 http://www.realinsight.co.jp/npj/


 桜チャンネルでは、
 http://www.youtube.com/watch?v=juiLZcPnYPQ

 お互いに日本のためにも
 頑張りましょう。

▼このエントリーにコメントを残す

   

Translation翻訳

魂の掛け軸

最新記事

わきあいRSS記事画像

RSSリンクの表示

最新コメント

カテゴリ

ごあいさつ (10)
宇宙・UFO・ET関連 (11)
地球の変容とアセンション (40)
神秘・預言・予言 (30)
竹内文書・皇祖皇太神宮・古代史 (13)
出口王仁三郎・ひふみ(一二三・日月)神示 (91)
一二三(ひふみ・日月)神示:一二三祝詞 (6)
出口王仁三郎・ひふみ神示(一二三・日月神示) (85)
日本列島は世界のひな型・相似形 (13)
日本と世界の近代史 (5)
生命科学 ライフサイエンス(Life Science) (4)
災害・食糧危機・お役立ち情報 (20)
原爆・原発 (5)
日本再生を模索する普通の人々 (3)
日本の誇りと自慢 (6)
陰謀と世の中おかしいこと (10)
陰謀 (4)
本当に何かがおかしい (4)
温暖化問題とそして風力発電所問題 (1)
洗脳問題 (3)
あなたの洗脳度をチェックしてみましょう。 (2)
政治関連・国際情勢 (5)
日本が世界中から愛される秘話 (12)
世界の愛すべき秘話 (2)
ほっとする話 (6)
和気藹々 ほっとニュース (6)
ほのぼのニュース・発明・発見ニュース (3)
ブレイクタイム・軽い話 (1)
風刺・時事川柳 (1)
和気藹々 談話室♪ (19)
ほっとする音楽 YouTube 動画紹介 (9)
ほっとする音楽 (1)
個別推薦YouTube音楽動画 (8)
お勧め動画・URL (2)
マイ・フィーリング(心情・ポエム) (21)
このブログへの想い・難しいね! (5)
Each room (12)
ミルクの小話・ひとりごと (6)
ぽんたルーム (6)
更新および連絡・質問 (3)
未分類 (0)

検索フォーム

全記事表示リンク

カレンダー

09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -

月別アーカイブ

リンク

和気藹々ブログ歴

47news

プロフィール

かたくりto ・ほっとひといきチーム

Author:かたくりto ・ほっとひといきチーム
ようこそ!和気藹々 ほっとひといきブログへ!
知的好奇心旺盛な癒し系からほのぼの系まで個性的なひといきチームとご一緒に♪

全国放射能測定値

全国の数値がわかります。

コガネモチ

忍者AdMax

未来の免許証!?

今後必要になる?

ブロとも申請フォーム

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

QRコード

QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。